娘が特発性脊椎側弯症と診断されたのは、小学5年生の冬のことでした。習っていたバレエの先生に指摘され、初めて大学病院を訪れた時は、私も娘も大したことではないのだろうと軽く考えていました。しかし、その後、すぐに装具を作ることになり、一年も経たないうちに手術を勧められ、そこでやっと娘の側弯症が軽いものではないということに気が付きました。
無知を悔やみ、どうして良いのかわからずに悩んでいた頃に、友人の紹介で、白石先生と石原先生に出会いました。脊椎側彎症についてや運動療法の必要性と効果など、娘の将来のために真摯に話してくださった日の事は、今でも鮮明に覚えています。手術以外に、もし出来る事があるならば頑張りたいと、娘も迷う事なくこちらにお世話になることを決めました。
中学に上がると同時に、転院先の大学病院で新たに装具を作り、白石接骨院での治療と運動療法の指導を受けながら、3年間を過ごしました。そのお陰で大きな進行もなく、高校に入学してまもなくの病院でのレントゲン検査では、もう装具を外しても大丈夫と言われたのですが、次のレントゲン検査では進行しているのでと、一転、手術を勧められました。
本当に手術が必要な段階まで来ているのか、白石先生と石原先生に相談させていただき、ご協力を得て再び転院し、装具の装着と運動療法で経過を見ていくことになりました。
その後は、角度は改善傾向にあり、シュロス法の運動療法がかなり効果を上げていると実感しています。個人に合わせた指導をしてくださっているので、娘も自分の身体の状態を見ながら、取り組んでいるようです。
ドイツの装具が日本で作れるようになったと聞いてすぐに作っていただきました。これまでの装具より、シンプルながらもより効果的で作って良かったと思っています。
側弯症の進行と思春期が重なり、心と身体のバランスが難しい時期もあったと思いますが、白石先生、石原先生始め、スタッフの皆様の温かな支えのお陰で、娘も前向きに頑張って来られたと思います。私にもとても心強い存在でした。SBPJの皆様との出会いには心から感謝しています。
まだこれからも側弯症と向き合っていかなければなりませんが、先生方が研究されている側弯症の温存治療を信じ、期待し、今後も娘と共に学んで行きたいと思っています。